「生命情報科学シンポジウム」発表報告

3月12日、オンラインで行われた「第55回生命情報科学シンポジウム」で、黒須美枝が発表をさせていただきました。当日の発表を振り返るとともに、他の発表についても感想を述べさせていただこうと思います。

●黒須美枝の発表

テーマ:アートセラピーにより無意識を意識化することで、人生を他者とのより自然な共存へと変化させる

要旨:「怒り」「悲しみ」「不安」といった感情は繋がっていて、その時の状況によって無意識に選択をしている。根本的な自分の心の課題をアートセラピーで気づくことで、他者の言動による意識の制御がされていない、反復化した自分の反応に気づける。「怒り」をテーマにした画から、各自の無意識の怒りのエネルギーの特性を紹介する。その特性からもたらされるだろう人生の結果を想定し、体力や気力がある段階で反応を軌道変更することにより将来がより幸せへと繋がる可能性がある。
身近な人とも共存できない心のエネルギーが心身の不調と関連していると思われる。

キーワード:アートセラピー、無意識、反復、制御、繋がっている

今回の発表では、特に「無意識」と「ファーストインプレッション」の関係をお話ししました。人は時折、一人で生きているように錯覚していることがあります。一人で考え動くことは生きていく上での「基本」ですが、それは「常に他者と繋がっていることで現実は動いている」と認識しておくことが大切です(詳細については、後日改めて解説させていただきます)。


 当日は他にも多彩な発表があり、私・黒須も拝聴させていただきました。以下は、発表された方々に、私がさせていただいた質問の概要です。

●久保隆司先生(日本ソマティック心理学協会会長)の発表

テーマ:ソマティック・スピリチュアリティの視点から

黒須からの質問

ある若者が悩みを抱え、おばあちゃんの家に行った。おばあちゃんは台所で料理を作っている。戦争体験もある、おばあちゃん。雨が降りだすと「雨は降りたい時に降る」と話す。若者(孫)には意味が分からないが、なぜかその言葉が心に深く留まる。帰り道、歩きながら、何となく心身が軽くなる気がした。
昔はこんな風に、心を癒す人が在野にいたように思う。悩みに直接フォーカスするのではなく、時間の流れの中で、悩んでいた当人が癒されていく。
現在、医療関係をはじめ様々なセラピストがいるが、セラピストに最も重要な資質とは何か、教示いただけるとありがたい。

久保先生の回答

その「おばあちゃん」は、若者を癒そうと思っているわけではない。その時の光景、タイミングなどが、自然に若者に何かを与えることができた。決して計算されたことではない。セラピストに重要なことは、共感と本当の優しさだと思う。

●鎌田東二先生(宗教哲学者)の発表

テーマ:心身相関の新しい可能性 ~スピリチュアリティを含めて 「心身変容技法の視点から」

黒須からの質問

以前、鎌田先生の『場所の記憶』を拝読し、救われた経験があるので、今回、御講演を拝聴できて、夢のような気がしている。以下は、学術的・歴史的事実ではなく、あくまで自分のイメージ上の事であることをご容赦いただきたい。

私は高知県の山間部に生まれた。祖父が神主だったことから、魂や、今の言葉で言う“超常現象”にとても関心がある。
日本にはアマテラスとスサノオヲがおられるが、集合無意識として、平和時にはアマテラスが、過渡期や社会が行き詰まった時にはスサノヲ的な力が動くと認識している。一度不安定になっても、平穏になっていけばスサノヲ的な力は排除される気がしており、それは現在、潜在化しているように思っているが、ご意見を伺いたい。
また、神道式の葬儀において、最大の儀式は、亡くなった人の魂を天上に送ることだと思う。その際の神主の声は、低い声(聞き様によってはうなり声)から高い声へと変化していく。それは今も私の耳に残っているが、神主の祖父は「ごくまれに、うまくいかないことがある」と言っていた。それは「この世に未練が多い方の場合」だと聞いた(神道の一般的解釈か祖父固有の実感かは分からないが)。思うに、低い声は音としては濁音、御霊を天上に届けた時は清音になるのではないか。
こうしたことから、現世は濁音の世界(葛藤や憎しみや怒りを学ぶ場)ではないかと思うことがある。世界的な異常気象が起きている現在、母なる地球(種を撒けば花が咲き実る)が、その周波数を高域に上げ、清音の世界に近づこうとしているのかもしれない……などと空想している。

このあたりについて、何かご意見がありましたら、お伺いしたく思います。

鎌田先生の回答

アマテラスは「にぎみたま(和魂)」、スサノヲは「あらみたま(荒魂)」を象徴していると言える。4月末に刊行する拙著『悲嘆とケアの神話論』(春秋社)に、そのあたりのことを書いているので、読んでいただけるとありがたい。


次に、前日(11日)のシンポジウムを視聴された、Yさんの感想を紹介します。

●橋爪秀一先生(Idea-Creating Lab 所長)の発表

テーマ:目指せ、潜在意識による共生 

概要:世界各国の鹿の保護管理について報告。鹿の深層心理を利用し、α波を発生させることで「ここに入ってはいけない」と鹿に伝え、鉄砲で撃って駆除する形ではない保護管理が可能なのではないか。

Yさんの感想:すんなり理解できる発表だった。

●青山圭秀先生(国際生命情報科学会 常務理事)の発表

テーマ:アーユルヴェーダの世界観Ⅲ ~局所性と実在性~

概要:「存在は観測されて初めて存在する」「月は誰も見ていなければ存在しない」というのが、現代物理学における正統的解釈。しかし「そんなことはない」というのが私の立場。現象の背後には実在があるとしか思えない。本当のところは分からないが、通常の物理学では解釈の仕様もないことがあるのも事実。物理的存在を超えたところに実在があるが、そのような物理を展開できるかどうかは、今世紀あるいは千年紀の課題である。(ISLISの資料を要約)

Yさんの感想:青山先生は確信を得ている印象がある。深い考察と哲学を感じる。

●帯津良一先生(国際生命情報科学会 次期会長)の発表

要旨:
私がホリスティック医学に入ったのは、がん治療がきっかけである。

医学生時代から、いずれ開業するつもりでいたが、最初の20年は大学病院に入って外科をやった。そこでは食道がんのチームに入れられた。その後、都立駒込病院が出来た時、教授に請われて行くことになり、それで開業が遅れることになってしまった。
駒込病院では「食道がんを克服するのだ」と意気込んで一生懸命やったが、ある時、気持ちに陰りが差した。食道がんの再発率や治療成績が一向に変わらないことから、「命を診ようとしない西洋医学の限界だ」と思った。
そんな時に中国医学と出会ったのだが、当時の日本には、中国医学でがん医療をやっている医者はいなかった。それで、北京の大学病院へ勉強に行かせてもらった。

その大学病院では針で麻酔をしていた。見学に行った私に、手術中の患者さんが会釈したのには驚いた。「針麻酔は効く人と効かない人があるのか」と中国の先生に聞くと、「素直か、素直でないかだ」という答が返って来た。「だから、患者は全員“素直ではない”と仮定し、手術前の3週間、患者に気功をさせるのだ」と言う。
それで私は呼吸法を始めた。「丹田呼吸法」である。帰国後、これを駒込病院の患者さんに教えようと、病院内に気功の道場を作った。

その後、アメリカから「ホリスティック医学」が入ってきた。世の中に居る“変わった医者たち”の仲間も出来、関心は中国医学からホリスティック医学へ移っていった。

私は以前から、がんには「こころや命」が深くかかわっていると思ってはいたが、方法論がなかった。加えて、病院は患者に冷たかった。駒込病院に来たある患者が、「抗がん剤を断ったら、前の病院を放り出された」と怒りに震えながら語っていたことをを思い出す。
私は心理療法を使いながら、患者と医者が心を1つにすることに取り組んだ。人の本性は「悲しみ」である。相手の悲しみを敬い、患者と接した。初めのうちは目に見える変化はなかったが、次第に病院の雰囲気は変わっていった。

昔は「エビデンスの無いものにうつつをぬかしてもしょうがない」とよく言われたものである。医療は戦いの最前線、医学は後方支援。最近は「エビデンスが必要」とは言われなくなった。医療と医学は違う。
医者は患者に寄り添う。患者の好みを聞き、すり合わせる。その方針を徹底的に貫いたつもりだったが、ある人から「寄り添うと言っても、多くの医者や看護師は、体を寄せているだけだ。『命』に寄り添いあっている人はいない」と言われた。

死ぬことを「命の終わり」として見るか、それとも「命をプロセス」として見るか。
「命をプロセス」として見ると、死ぬことは終わりではなくなる。死後の世界に続くということになる。私は、受けもった患者が死んだ時は、しばらくそばに居るようにしている。すると例外なく、数分後、長くても1時間後には、いい顔になっていく。
どうしてか。
「あの世」が存在することを確信して、あの世に旅立つからである。これこそが「生と死の統合」――ホリスティック医学の「究極」である。(ISLISの資料を要約)

Yさんの感想:帯津先生は、こころが健康とつながっていること、死後の世界が存在すると信じることが死に際の状態を変えることを、現実的な体感として確信している。今回の発表で最も聞きごたえのある講演だった。

シンポジウム発表3

〈最後に…〉

「人の変化」は、私の大きな研究テーマになっています。

高校生の時、1カ月の夏休みが終わったら、休み前とはまったくの別人のようになっていた同級生がいました。同じ歳とは思えないほど、大人っぽい雰囲気になっていました。
特に親しくなかったので、恐る恐る話しかけてみると「父親が他界した」とのことでした。大きな出来事があると人はこんなにも変わるのか、と驚いたことを覚えています。

同級生の悲しい出来事からではありますが、それ以来、人の内面の変化――その“深さ”や “多様性”“神秘性”にずっと惹かれています。

本人が意識していなくても、潜在意識で「変わりたい」と思っていれば、それに気づくことができるし、気づく「きっかけ」を無意識に引き寄せることができる、時代の過渡期にあってはそれが大多数に起き、大きなうねりとなることもある――今回の発表を通し、自分なりに多くの事を考えることができました。また、他の先生のお話からも、多くの“気づき”を頂きました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。