発表の感想を頂きました
8月20日にオンライン開催された「ISLIS 国際生命情報科学会」のシンポジウムで、黒須美枝が発表を行いましたが、その内容についての感想文を頂きましたので、ご紹介させていただきます。感想を寄せていただいたKさんは、当スクールの「アートセラピスト養成講座」を受講し修了された方です。発表のパワーポイント資料には、Kさんが受講時に描いた画も使用させていただきました。
※なお、発表した内容については、音声入りのスライドにして、ホームページへアップする予定です。
1.発表スライドの中で、ハッとさせられた言葉
次の言葉にハッとさせられました。いずれも、アートセラピスト養成講座を受講している間にも言われていた言葉ですが、いま改めて「なるほど!」と思いました。
- もしも、の時にサポートしてくれる人がいるかどうか。
- 本音の人間関係には、時間がかかる
- 自分の無意識を意識化すると、将来人を責めることをしないで済む
- AIの時代になり、人も心の冷静さを必要としてきている。
- 画の変化は、自分の情報の変化である
2.発表スライドで紹介されていた画について
● テーマ「人に望む対話」
この画を描いたことは、今もよく覚えています。その時に黒須先生から頂いたコメントは「同じ答を相手に求めすぎるのでは?」ということでした。以来、この言葉はずっと私の意識の中にあります。いま思うと、それまではかなりわがままな要求を、相手にしていたと感じます。画に描かなければ、そのことが自分ではわからなかったでしょう。
●テーマ「今、気になること」
自分がやりたい事を続けていくには日常の家事が大切だということ、その中には「家族のためにすること」も含まれている……ルーティンが大切ということですね。
受講していた頃は大してやっていませんでしたが、最近になって、やっと「嫌々」ではなくなりました。アートセラピーの画は「時間差」があるように思います。すぐに変えられる事と、すぐには変えられない事がある、ということだと思います。
昔の画を並べて見ていくのも、とてもよいですね! 心のアルバムです。発表スライドには他の人が描いた画も多くありますが、自分が描いた画はすぐわかるのも面白いです!!
また黒須先生の説明を聞きながら受講したいと思いました。
感想を拝読して、Kさんへお返事を致しました。
Kさんが、アートセラピスト養成講座を受講している間に描かれた様々な画は、私もよく記憶しています。
その時間のなかで、私には重要なポイントがありました。
アートセラピーを何度か体験していくと、自分が描いた画から思うことが一気に浮かび、時には涙ぐむ方もいらっしゃいます。自己浄化につながるので、それはそれで意味がありますが、涙は「もうこれ以上の情報はストップしたい」という自己防衛である場合もあります。
怒りも同様の意味があります。一般向けのアートセラピーセッションと異なり、アートセラピスト養成講座は、より強い自分への好奇心が必要になります。
私が記憶する限り、Kさんの涙は見たことがありません。
画からの情報は、自分にとって心地よくないことが多々あります。涙がないのは「それでも自分の人生の情報に関心を持てる」という強い好奇心と、情報を受け入れていく心の寛容さの表れであると言えます。
私も特段の気遣いをすることなく講座を進めることができました。むしろ私の方が、多くのことを学ばせていただいたと思います。
改めて御礼申し上げます。
Kさんから改めてお便りを頂きました。
アートセラピーに取り組むことによって、たとえキツイ事が待ち構えていても、敢えてそちらに向かって行くことが、いつか必ず救いになる…という予感があったのだと思います。
以前、先生が「裸になれる(素の自分をさらけ出せる)場が病院である場合がある」とおっしゃっていたことを覚えています。私は病院ではなく、画を描くことで裸になれたので、今日まで命を永らえることができたように思います。私の場合、「裸になれた」とは「人を許せるようになった」ということです。
黒須先生は、とても現実的でとても霊的で、良いも悪いもない、という答えを最初から持っていらっしゃいました。
そういう意味でも、答えが先にある、画、そして黒須先生はすごいと思います。私はとてもラッキーでした。
改めて、ありがとうございました!
〈追記〉Yさんからもご感想を頂きました。
Kさんとのやりとりを興味深く読ませていただきました。
Kさんは「私の場合、『裸になれた』とは『人を許せるようになった』ということです」とのことですが、私の場合は「『裸になれた』とは『自分を許せるようになった』」ということになります。「自分を許せるようになった」その先に「人を許せるようになった」という感じです。
黒須さんのアートセラピーのおかげです。 ありがとうございます。